微なる生きもの その一
短い旅に出ていた。夫と私で「二人とも行ったことの無い場所に出かけよう」と決めていたので、九州なら佐賀県になった。知らぬ間に新幹線が通っており、在来線の車両も駅も真新しく、思いの外快適な道のりだった。温泉場の駅に降りると、ぷんとお湯の匂いがする。それがどこか甘やかな薫りであったので、身体の力がふわりと抜けて、早や湯を浴びたような軽い酩酊状態になった。宿に着くと広大な庭に囲まれた部屋の中から、御船山の切り立つ峰が間近に見える。「人が入れるのかな?」と思う絶壁で、枯山水に置かれた蓬莱山を思わせる。山の麓では、開花したツツジが葉桜から主役の座を奪ったばかり。そぼ降る雨のせいもあり、水を含んだ土が薫りたつ。それは土壌中の菌が出す物質のせいらしい。私の性癖というべき好きな匂いの殆どは、そんな微生物が生むものだと前に教わった。愛犬の耳の匂い、古書店・洋書の匂い、古い木造建築や石作りビルの匂い…。
微なる生きもの その一
短い旅に出ていた。夫と私で「二人とも行ったことの無い場所に出かけよう」と決めていたので、九州なら佐賀県になった。知らぬ間に新幹線が通っており、在来線の車両も駅も真新しく、思いの外快適な道のりだった。温泉場の駅に降りると、ぷんとお湯の匂いがする。それがどこか甘やかな薫りであったので、身体の力がふわりと抜けて、早や湯を浴びたような軽い酩酊状態になった。宿に着くと広大な庭に囲まれた部屋の中から、御船山の切り立つ峰が間近に見える。「人が入れるのかな?」と思う絶壁で、枯山水に置かれた蓬莱山を思わせる。山の麓では、開花したツツジが葉桜から主役の座を奪ったばかり。そぼ降る雨のせいもあり、水を含んだ土が薫りたつ。それは土壌中の菌が出す物質のせいらしい。私の性癖というべき好きな匂いの殆どは、そんな微生物が生むものだと前に教わった。愛犬の耳の匂い、古書店・洋書の匂い、古い木造建築や石作りビルの匂い…。