「すべて世は事も無し」 その一
花見の頃は大抵寒い。とりわけ今年の桜は気忙しく、四月を待ってくれそうもない。私は天気と気温をチェックしつつ、両親を外へと誘った。人がまばらな平日に近くの大きな公園で花の盛りを見て歩かせるのが、ここ数年の恒例行事なのだ。あまり屋外に出られない寒期は高齢者のいわば冬眠時期になり、少し会わないと様子が変わる。「こないだ見た中庭の桜が綺麗で〜」。車で移動する5分の間に母はこのフレーズを3回言った。まるで熱心に台詞稽古する役者が毎度初めての様に話してみせる、そんなフレッシュさだった。「正月会った時よりリピート間隔が短いな」。私の心に少し雲がかかる。だけど車から降り立つと公園の木々は春爛漫の装いだ。「素晴らしいね〜」。見惚れる母の足取りは軽くなって手を取る必要もない。落ちた食欲も回復し、カフェのサンドイッチを「今迄で一番おいしい」と完食する。心の雲間に光が射して、私は呟く「すべて世は事も無し」。
「すべて世は事も無し」 その一
花見の頃は大抵寒い。とりわけ今年の桜は気忙しく、四月を待ってくれそうもない。私は天気と気温をチェックしつつ、両親を外へと誘った。人がまばらな平日に近くの大きな公園で花の盛りを見て歩かせるのが、ここ数年の恒例行事なのだ。あまり屋外に出られない寒期は高齢者のいわば冬眠時期になり、少し会わないと様子が変わる。「こないだ見た中庭の桜が綺麗で〜」。車で移動する5分の間に母はこのフレーズを3回言った。まるで熱心に台詞稽古する役者が毎度初めての様に話してみせる、そんなフレッシュさだった。「正月会った時よりリピート間隔が短いな」。私の心に少し雲がかかる。だけど車から降り立つと公園の木々は春爛漫の装いだ。「素晴らしいね〜」。見惚れる母の足取りは軽くなって手を取る必要もない。落ちた食欲も回復し、カフェのサンドイッチを「今迄で一番おいしい」と完食する。心の雲間に光が射して、私は呟く「すべて世は事も無し」。