シーシュポスの消失 その二
月曜の朝とは、シーシュポスが麓から見る光景と被る。例え自分が望んだ生活であれ、日々過剰なタスクを処理し続け、それがエンドレスで無意味に感じてしまった瞬間、懲役刑の如き重さが生じるのかもしれない。何かを達成して喜んだのも束の間、また一からやり直し。満員電車に突入する会社員、ワンオペ育児で飛び起きる母、連日学校から塾に向かう子供たち。カミュは「今日の労働者」をシーシュポスに擬えているが、「神々のプロレタリアートであるシーシュポス」自身は、悲惨な在り方を知り尽くした故、自分で岩のほうに戻ると述べる。「ひとを圧しつぶす真理は認識されることによって滅びる」。さらにオイディプスの台詞を引いて「私は、全てよし、と判断する」と勝利宣言させる。カミュの言う不条理な宿命の超克について、私は理解できたと言えない。けれども「認識されることによって滅びる」の件で頭をよぎったのは、観察瞑想のアプローチである。
シーシュポスの消失 その二
月曜の朝とは、シーシュポスが麓から見る光景と被る。例え自分が望んだ生活であれ、日々過剰なタスクを処理し続け、それがエンドレスで無意味に感じてしまった瞬間、懲役刑の如き重さが生じるのかもしれない。何かを達成して喜んだのも束の間、また一からやり直し。満員電車に突入する会社員、ワンオペ育児で飛び起きる母、連日学校から塾に向かう子供たち。カミュは「今日の労働者」をシーシュポスに擬えているが、「神々のプロレタリアートであるシーシュポス」自身は、悲惨な在り方を知り尽くした故、自分で岩のほうに戻ると述べる。「ひとを圧しつぶす真理は認識されることによって滅びる」。さらにオイディプスの台詞を引いて「私は、全てよし、と判断する」と勝利宣言させる。カミュの言う不条理な宿命の超克について、私は理解できたと言えない。けれども「認識されることによって滅びる」の件で頭をよぎったのは、観察瞑想のアプローチである。