何処にいても同じ夢を見ている ポルトガル編 その十
リスボンで印象深いのは『サン・ジョルジェ城』からの眺望である。市内全景見渡せるだけでない。向こうにテージョ川があるせいか、街全体に薄っすら靄がかかる。それがスクリーンとなって灯りが幻想的に反射する–まるでカンタベリー・ミュージックの名盤タイトル『グレーとピンクの地』そのままなのだ。川と靄と幻想。ポルトのリフレイン。
また同じだなと思う。私には川の「流れ」が必要で「流れ」が滞ると「迷い」になる。「螺旋」を感じ「上昇」し「鳥瞰する」のが好きだ。「古い」もの「目新しい」ものの間を「素速く」動く。「空間」と「幻想」を愛し、血の通う「温かさ」に惹かれる。
つまりポルトガルの旅は、自分の内側に流れる「普遍的感覚」をなぞり解放してくれたのだ。私がお家のベッドで見る「夢」も、旅の「リアル」と同じ路線を辿り、同じ景色を見せる訳だ。いつの日か真に解放されたなら…路線から外れた旅ができるだろう。
何処にいても同じ夢を見ている ポルトガル編 その十
リスボンで印象深いのは『サン・ジョルジェ城』からの眺望である。市内全景見渡せるだけでない。向こうにテージョ川があるせいか、街全体に薄っすら靄がかかる。それがスクリーンとなって灯りが幻想的に反射する–まるでカンタベリー・ミュージックの名盤タイトル『グレーとピンクの地』そのままなのだ。川と靄と幻想。ポルトのリフレイン。
また同じだなと思う。私には川の「流れ」が必要で「流れ」が滞ると「迷い」になる。「螺旋」を感じ「上昇」し「鳥瞰する」のが好きだ。「古い」もの「目新しい」ものの間を「素速く」動く。「空間」と「幻想」を愛し、血の通う「温かさ」に惹かれる。
つまりポルトガルの旅は、自分の内側に流れる「普遍的感覚」をなぞり解放してくれたのだ。私がお家のベッドで見る「夢」も、旅の「リアル」と同じ路線を辿り、同じ景色を見せる訳だ。いつの日か真に解放されたなら…路線から外れた旅ができるだろう。