Ⅱ章:「真珠貝」の人  

「私」の二重構造

 ホメオパスと患者、観客と演者、「ワキ」と「シテ」の関係同様、ひとりの人間の中に在る「観る者」と「表現する者」。「観る=ただ在り注意を払う」と「表現する=本質を表す」という類似構造のように思えます。これは仏教の「観/ヴィパッサナー」瞑想の概念にも通じる気がします。「センセーション・メソッド」は比較的新しいホメオパシーの手法ですが、開発者ムンバイの医師達には、印度哲学〜仏教への深い素地があり、自然に生まれたものでしょう。私自身はこの手法で患者方の経験を共有し、こう理解し始めました。人の生命力の源と言われる「気」。これは個々人で異なり「動物・植物・鉱物などの下位分類まで辿り得る固有種の何か」の性質と酷似します。「観る者」とは「ただある私」。そして「表現する者」とは「人間でない何かの本質を呈する私」。それは、人がこの世に居ながら垣間見た、眼に見えない「あの世の姿」の様でした。

「私」の二重構造

 ホメオパスと患者、観客と演者、「ワキ」と「シテ」の関係同様、ひとりの人間の中に在る「観る者」と「表現する者」。「観る=ただ在り注意を払う」と「表現する=本質を表す」という類似構造のように思えます。これは仏教の「観/ヴィパッサナー」瞑想の概念にも通じる気がします。「センセーション・メソッド」は比較的新しいホメオパシーの手法ですが、開発者ムンバイの医師達には、印度哲学〜仏教への深い素地があり、自然に生まれたものでしょう。私自身はこの手法で患者方の経験を共有し、こう理解し始めました。人の生命力の源と言われる「気」。これは個々人で異なり「動物・植物・鉱物などの下位分類まで辿り得る固有種の何か」の性質と酷似します。「観る者」とは「ただある私」。そして「表現する者」とは「人間でない何かの本質を呈する私」。それは、人がこの世に居ながら垣間見た、眼に見えない「あの世の姿」の様でした。