おばあちゃんの夢 その三
私の大学受験、今で言う共通テストの翌日に、おばあちゃんは急死した。試験で忙しくずっと会えなかったが、当日は後ろ髪をピンと引かれた。家に行くと風邪で伏せっていた。急いで母たちを呼び、疲れから私は傍で爆睡、その夜訃報があった。以来数十年間おばあちゃんの夢を見たことは一度も無い。どんなに会いたくても夢の登場人物は選べない。ただし本質的治療の成果で見る夢はモードが変わる。スリランカではビビッドな夢を幾つか見たが、苦手な人とも友好的だった。まるでカルテの絵札と読札の組合せが変わる様に、旧知の人や場所でも上演される物語が違ってくるのだ。変わらないのは個人を貫く「普遍的感覚」だけ。私の場合それらは「軽くなる、浮く、飛ぶ」等で、別の夢でも現実でも繰り返し現れる。ところでおばあちゃんは晩年、育てていたミヤコワスレの花を切って私にくれた。「これ見たら思い出してな」。花言葉は「しばしの別れ」であった。
おばあちゃんの夢 その三
私の大学受験、今で言う共通テストの翌日に、おばあちゃんは急死した。試験で忙しくずっと会えなかったが、当日は後ろ髪をピンと引かれた。家に行くと風邪で伏せっていた。急いで母たちを呼び、疲れから私は傍で爆睡、その夜訃報があった。以来数十年間おばあちゃんの夢を見たことは一度も無い。どんなに会いたくても夢の登場人物は選べない。ただし本質的治療の成果で見る夢はモードが変わる。スリランカではビビッドな夢を幾つか見たが、苦手な人とも友好的だった。まるでカルテの絵札と読札の組合せが変わる様に、旧知の人や場所でも上演される物語が違ってくるのだ。変わらないのは個人を貫く「普遍的感覚」だけ。私の場合それらは「軽くなる、浮く、飛ぶ」等で、別の夢でも現実でも繰り返し現れる。ところでおばあちゃんは晩年、育てていたミヤコワスレの花を切って私にくれた。「これ見たら思い出してな」。花言葉は「しばしの別れ」であった。