Ⅵ:ホメオパシー枕草子

「左様ならば、ごきげんよう」 その三

つまり「さようなら」は「左様ならば、ごきげんよう」の省略バージョンなのだが、昨今これですら使う機会が減っている。「ごきげんよう」に至っては、絶滅寸前の言葉でないか?「ではでは!」「元気?」。今ならこんなところだろうか。「ごきげんよう」に含まれていた、無事の祈念のニュアンスは残っていない。良い習慣だったのにと思う。誰か何かと出会い別れる。次に会える保証は実は無い。コロナ禍では贔屓の店が知らぬ間に閉じていたり、元気だった方が身体を壊しひっそり退職されていた。「どうしてひと言挨拶をしなかったろう」。そんなタイミングは知る由もない。だからこそ別れの際は毎度きちんと幕引したい。「場」の御弔いのようなものだ。ちなみにホメオパシーのレメディーで「お別れ」の悲しみに多用するのは「Nat-m塩化ナトリウム」「Ignイグナチア」「Cyg-cオオハクチョウ」などであるが、其々に惜別の辛い訳があるのが面白い。
入水するオフィーリア。

自らに捧げる花「ヘンルーダ」の花言葉は「悔恨」。
“Ophelia” by Sir John Everett Millais
https://www.tate.org.uk

「左様ならば、ごきげんよう」 その三

つまり「さようなら」は「左様ならば、ごきげんよう」の省略バージョンなのだが、昨今これですら使う機会が減っている。「ごきげんよう」に至っては、絶滅寸前の言葉でないか?「ではでは!」「元気?」。今ならこんなところだろうか。「ごきげんよう」に含まれていた、無事の祈念のニュアンスは残っていない。良い習慣だったのにと思う。誰か何かと出会い別れる。次に会える保証は実は無い。コロナ禍では贔屓の店が知らぬ間に閉じていたり、元気だった方が身体を壊しひっそり退職されていた。「どうしてひと言挨拶をしなかったろう」。そんなタイミングは知る由もない。だからこそ別れの際は毎度きちんと幕引したい。「場」の御弔いのようなものだ。ちなみにホメオパシーのレメディーで「お別れ」の悲しみに多用するのは「Nat-m塩化ナトリウム」「Ignイグナチア」「Cyg-cオオハクチョウ」などであるが、其々に惜別の辛い訳があるのが面白い。
入水するオフィーリア。

自らに捧げる花「ヘンルーダ」の花言葉は「悔恨」。
“Ophelia” by Sir John Everett Millais
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